★袖ケ浦市福王台、神納地区周辺の神社 |
[福王神社]
・天智天皇の皇子の大友皇子(弘文天皇)は壬申の乱で敗れました。
・大友皇子のお子様の福王は壬申の乱後に、上総の奈良輪の海岸に逃れ、おふごの森に住みました。
[おふごの森]
・数年後に亡くなられ、亡骸は居住地に葬られ、小さな祠が建てられたのが福王神社の始まりです。
・その後に福王神社は現在地に移されたとのことです。 |
[福王神社マップ]
[福王神社]
・福王神社は袖ヶ浦駅の東方の福王台住宅団地にあります。丘陵地の住宅団地の端の高台で、すぐ前は崖地で、眺めの良いところにあります。
・袖ヶ浦駅からは徒歩7分(560m)のところです。
・車でアクセスする場合は、国道16号線側からアクセスした方がスムーズです。
・駐車場は、福王神社周辺です。 |
[率土神社(そっとじんじゃ)]
・率土(そっと)とは、この広く大きい天の下、広い地の果てまで、すべて王の土地であり、そこにいる人はすべて王の臣だ、という意味です。
●神納神楽ばやしは、神納地区に伝承されている獅子神楽で、毎年10月15日の率土神社祭礼と7月24日の飽富神社の祭礼に境内で舞われます。
[率土古墳(そっとこふん)]
・率土神社南古墳は、帆立貝式の前方後円墳で、6世紀初頭の築造と推定されています。
・古墳の上からは小櫃川方面の袖ケ浦市の田園地帯、遠く鹿野山の低い山々の眺めがいいところです。
|
[率土神社マップ]
[率土神社、率土古墳へのアクセス]
・国道16号線の袖ヶ浦駅入口の福王台信号交差点から、入ってください。
・突き当りが率土古墳で、左手90mで率土神社です。
・駐車場は率土神社とその周辺です。 |
[坂戸神社の森]
・坂戸神社の森は鬱蒼とした自然林が残っています。
・近くには袖ケ浦市の主要な公共施設の多いところですが、この一角は小鳥の声、セミの声だけが聞こえ静まり返っています。
・坂戸神社の森は、京葉地帯では最も大きい広葉樹林で、スタジイ、モミ、ツガの大木が生い茂っています。
・またこの森には古墳が確認されています。
[坂戸神社(さかとじんじゃ)]
・古墳の上に建っている神社です。
・坂戸神社の創建年代は不詳ですが、日本武尊東征の時本社に戦捷を祈り親ら奉幣したと伝えられ、旧くより近郷の総鎮守でありました。
・天正19年(1591年)徳川家康により御朱印状を与えられ、神領50石と定められ、明治4年には郷社に列格しました。 |
[坂戸神社マップ]
[坂戸神社へのアクセス]
・JR内房線袖ヶ浦駅南西700mの地にありますが、徒歩ですと13分約1kmです。
・車の場合、袖ケ浦市民会館側からアクセスした方が道幅が広くスムーズです。(約1.4km) |
[飽富(あきとみ)神社]
・飽富神社(あきとみじんじゃ)は、綏靖(すいぜい)天皇元年(紀元前581年)に皇兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)が創始したと伝えられています。
・祭神は、倉稻魂命(うかのみたまのみこと)など二柱を祀っています。
●筒粥神事(つつがゆしんじ)
・筒粥神事は、飽富神社で、毎年1月14日深夜から15日未明にかけて行われる神事で、葦(よし:あしのこと)の束をお粥の中に入れ、筒の中に入ったお粥の量で、その年の作物の出来具合を占います。
・筒粥神事は、岩井にある国勝神社(くにかつじんじゃ)でも、同じ日に行われています。
●神納(かんのう)神楽ばやしは、神納地区に伝承されている獅子神楽で、7月24日の飽富神社の祭礼に境内で舞われます。 |
[飽富神社アクセスマップ]
[飽富神社へのアクセス]
・飽富神社へのアクセスはたちばな通り側からの方が判りやすい道です。
・JR内房線袖ヶ浦駅の南東車で約4km、袖ヶ浦駅からバスの場合は飯富バス停で下車してください。 |